私の中に仏説は1ミリたりともなし

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺 楠木光雲です。

いろんなご縁を賜り、御法話をお取次ぎすることがありますが、その都度何を話せばいいのだろうか?と思います。

しかし、いくら考えても考えても、悩んでも悩んでも、自分の脳で自分の話を考えても良いものは一切出てきません。

何か出てきたとしても、それはそこに真実は一ミリたりともありません。

やはり、仏説をお取次ぎしないと法話ではないということです。

仏様の説かれた教えやお言葉をそのままお話しさせていただく以外にないということです。

自分が作り上げたものは、簡単にちょっとのことで崩れます。

浄土真宗では浄土三部経(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)を拠り所にしていて、その三つ共に、仏説という言葉がついております。

自分の経験してきたことや、考えをまじえずに、唯信仏語、ただ仏様のお言葉をお聴かせいただき受け入れさせていただくということを、また改めて意識させていただきたいと思います。

南無阿弥陀仏

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