仏様を拝む意味

皆様こんにちは。真光寺 僧侶の楠木光雲です。

今日御門徒様とお話をしていて、数年前に私の先生がおっしゃっていたことを思い出しました。

生命体が動かなくなったとき、人間はそれを「死ぬ」とか「死んだ」また、「亡くなった」と言います。

そこには、悲しさや苦しさしかありません。

しかし、仏様はそれらを「往生」と名付けれてくださいました。そして、この世(此の土)との縁が終わればそれで終わりではない、またお浄土(彼の土)というところに生れていくのだ、と教えてくださいました。

私たち人間は、自己中心的で浅はかなものさしでしか物事を判断することが出来ません。

仏様を拝むということは、その間違っている価値判断(これを虚妄分別といいます)に気付かさせていただくことであり、マイナスの世界しか知らなかった私たちにプラスの世界を広げてくださるということであります。

これこそが、いわゆる「救い」ということではないでしょうか。

仏様を拝むことが大切であると、意味を理解した上で実感していきたいものですね。

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

楠木光雲

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