ご本尊

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 真光寺の楠木光雲です。

 本日は私が尊敬している天岸浄圓先生のお言葉をご紹介させていただきたいと思います。

「宗教」「信仰」「信心」・・・。いろんな言葉がありますが、その基本はどういうことでしょうか。

お念珠を持ち、浄土真宗の式章をかけて、掌を合わせれば、真宗の門徒、仏教徒と思いこんでおられる方も多いのではありませんか。でも、そんなに単純なことでしょうか。「宗教」とは、格好をつければいい・・・、形式が大切だから、と考えておられる人も少なくありません。たしかに、形式から「宗教」や「信仰」に、入られる方も少なくありません。でも、やはり形式のみにとどまっておられる人が多いのも事実です。

「宗教」「信仰」「信心」・・・とは、実は、自分自身が人生のなかで、何を一番大切なものとするかを定める、いわば価値観の確立を意味することなのです。そのことを仏教的に表現すれば、「ご本尊」をいただくことといえるのです。

「ご本尊」だったら、お仏壇の「ご本尊」。お寺のご本尊・・・「今さらいわれるまでもない」と、おっしゃるかもしれません。でも、今、問題にしようとしているのは、形式的な「ご本尊」のことではありません。先に、申しましたように、あなたは自分の人生で、何を一番尊いものと定めておられますか。そして、その尊いものを、自身の言動や判断の原点とされていますか、ということです。

私たちは無意識のうちに、自分の経験を、判断、行動の基準としていることが多いのです。それは無意識のうちに自分自身を「ご本尊」としているのではないでしょうか。さらに、深く自覚していないでしょうが、経済的価値観を何よりも優先して、行動し、判断しているのが現代社会であると言っても、今や過言ではないと思われます。ならば、お金を「ご本尊」としているのではありませんか。

阿弥陀さまをご安置し、おつきあいの「お寺」があって、真宗の門徒といわれても、案外、阿弥陀さま以外を「ご本尊」とされておられることが多いようです。

阿弥陀さま、仏さまを「ご本尊」とし、その教えを依りどころとして、意識して生きようと努力される方を、本当は真宗門徒、仏教徒というべきです。ただし、自覚的信仰を持って生きることは、わがままに、自己中心的に生きようとする者には、窮屈なものともいえます。しかし、そこに人間として、尊い生き方が明らかにされ、二度とない人生であるからこそ、是非とも、尊く、豊かで、後悔のない生涯であれと願うべきでしょう。それを示してくださるのが、仏さまの教えです。ですから、教えにあわせていただいたことが、ご恩として慶ばずにはおられないのです。

 

この天岸浄圓先生のお言葉を聞かせていただき、自分の物事に対する価値判断がどこを原点にしなくてはならないのかを改めて考えさせられました。

一人でも多くの方々の胸に、このお言葉が響いてくださいましたら幸いです。

 

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

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