皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。
本日は、浄土真宗における法要の意味についてお話しさせていただきます。
皆様は往生即成仏、即得往生という言葉をお聞きになられたことがありますでしょうか。
浄土真宗以外の他の宗派では、初七日、二七日、三七日、四七日・・・というように法要を行い、成仏しているかの確認を行う、というような教えのところがあるようです。(中国の十王思想や十三仏信仰)
しかし、浄土真宗は往生即成仏、即得往生というように、命が尽きたその瞬間から成仏しているという教えであります。
では、浄土真宗において法要を行うということはどのような意味があるのでしょうか。
法要を行う意味は本当にたくさんありますが、本日は一つだけご紹介させていただきます。
浄土真宗において、何か思ったり、感じたりすることを「味わう」「お味わいをする」といいます。
たとえば、法要を通してこのようなお味わいができます。
必ずしも年老いた人が若い人よりも先に往生するとは限りません。
年老いた人よりも若い人の方が先に往生するかもしれません。
この世は常なるものがなく、当たり前に思っていることも実は奇跡的なものが多いです。
そのような無常の世界を、故人の往生という尊きご縁の中で味わうことが出来ると思います。
法要を通して、自分なりのお味わいをすることが自分の成長にもつながります。
煩悩具足の凡夫であるという自覚を改めてする機会にもなります。
気付けなかったことにも気付かされます。
そのように、法要を通してたくさんのお味わいをすることがなによりも大切であると思います。
皆様もしっかりと手を合わし、法要を通して様々なお味わいをしてみてください。
南無阿弥陀仏
浄土真宗本願寺派 真光寺
兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号
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