皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺の楠木光雲です。
本日は「念仏のみぞまこと」ということについてお味わいさせていただきます。
このような詩がございます。
私はらっきょ。
皮ばかりで真がない実がない。
一皮むけば欲の皮。
二皮むけばウソの皮。
三皮むけば化けの皮。
私たちのことをうまく表現している詩だと思います。
また、漢字にも私たちのことをそのままに表しているものがございます。
「偽」です。
人の為と書いて、「偽」。
私たちは純粋に人のために何かをしてあげることがあると思います。
しかし、大半のことが、どこかしら見返りを求めてしまっていたり、お礼や感謝をされるのを望んでいたりします。
私たちの行動、言動、生活・・・全てが、嘘や偽りで固められているのが現実です。
嘘や偽りだらけの考えや生活をしているとどうなるのでしょうか。
善悪の判断が出来ません。
良いことや悪いことの判断基準が自分であれば、その自分というものが真実なるものでなくては正しく価値判断することが出来ません。
自分が虚仮不実な存在であるならば、もちろん良いことや悪いこと(善悪)の判断をきちんとつけることが出来ません。
では、何を真実とし、善悪の判断基準にすれば良いのでしょうか。
親鸞聖人は仰せになります。
「ただ念仏のみぞまことにておわします。」
つまり、真実なるものは念仏以外に存在しませんよ、とおっしゃられているのです。
南無阿弥陀仏とは、正しい見方が出来るお心を素直に受け取らせてていただきますという誓いの御言葉であると他の記事で申し上げました。
私たちは虚仮不実である。嘘偽りだらけであるから物事を正しく見れないし、善悪の判断もつけられない。だから、物事をありのままに見ることができる羅針盤が必要なのです。
その羅針盤こそが、お念仏、つまり南無阿弥陀仏という正しく物事をみることが出来るお心なのです。
お念仏と御縁が結ばれている我が身を感謝し、お念仏を大事にして生活させていただきましょう。
南無阿弥陀仏
浄土真宗本願寺派 真光寺
兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号
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