宗教はこわい

皆様こんにちは。浄土真宗 武庫之荘 寺院 真光寺の楠木光雲です。
本日はタイトルにもありますように、宗教はこわい(人間はこわい)ということを少しお話しさせていただこうと思います。
ご安心ください、タイトルが少し過激なだけでございます。
突然何を言い出すのだと思われた方もいらっしゃるかと思います。
それに、お寺と御縁がないならまだしも、お寺の僧侶が言うことはおかしいと思われた方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、大真面目にそう思うのでございます。
宗教はとても素晴らしく私たちに必要不可欠なものであると言い切ることが出来ます。
私たちの生活や生き方をより良いものにしていくからです。
考えることもなかった自分自身のことを深く内観することも宗教の良さかもしれません。
ありのままにものごとを見ることが出来ない私たちに、このような感性があるのだということも知らせてくれます。
では、何故宗教はこわいなどと申しあげるのかということをお話ししていきたいと思います。
正しく申し上げますと、宗教を間違ってとらえてしまったり、宗教と言いながらそれはもはや宗教ではないものを大事にしてしまう私たち人間がこわいのです。
宗教が存在するのはそもそも何故でしょうか?
答えは人それぞれかもしれませんが、私たちがお育ていただいていくためだと思いますし、生活や生き方を本当の意味で豊かにしていくためではないでしょうか。
宗教(本当だったらもはや宗教とは言えない)を信仰することによって、自分が信じているもの以外は悪であると見てしまったり、自分の道を周りの人に強制させるというのは、いかがなものでしょうか?
本当に真実の教えとは言えないと思います。
このように申し上げていることも他を批判していることになるでしょうか?
そうであれば、本当に難しいですね。
ともかく、私たち人間はすぐに周りが見えなくなるということを日頃から常に細心の注意を払って意識しておかねばならないと思うのです。
自分以外の意見は排除しよう、自分の道に引きずり込もう、自分が信じているものは素晴らしいからそれを教えてあげなければ相手は不幸だ、自分以外の道は偽物だ、などと他を尊重せず、敬意を払えない宗教は宗教ではないと思うのです。
宗教はなんのためにあるのか?ということをまた改めて考えるということも必要ではないかと感じました。
色々な意見や思うところがあるかと思いますが、宗教に対し真剣に向き合って感じた、今の私の受け止め方でございます。
もしかしたら違う意見もあるかもしれません。
皆様がお感じになられたことや、お気付きのことなど素直にお教えいただければ幸いです。
コメントやお会いしたときなど、ぜひお待ちしております。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺
兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号
阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分
ホームページ http://sinkouji.mail.jp/

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