使われなくなった言葉

皆様こんにちは。浄土真宗  寺院  真光寺  楠木光雲です。

本日は使われなくなった言葉と題しまして、少しお話させていただきます。

テレビを観ているとこんなニュースがありました。
街頭インタビューで、海外の方に勿体無いという言葉をご存知ですか?と聞くコーナーでした。
びっくりすることに、ほとんどの方が勿体無いという言葉の意味や勿体無いという言葉をご存知でなかったのです。
さらには、日本人の現代っ子に聞いても分からない人が出てきました。
言葉を使わないということは何を意味しているのかというと、その言葉の持つお心が理解出来ていない、もしくは頻繁にそのお心を感じていないということであります。
使われなくなってきた言葉は他にもあります。
ご恩に報いる。
かたじけない。
茶の間、床の間、人間などという「間」。
(まだまだ、他にもあるのでしょうが、挙げるとキリがありません。)
それぞれ、大切なお心が込められている言葉だと思います。
一つずつ見ていきましょう?

皆様は、恩という字の成り立ちはご存知でしょうか?
恩は、布団の上に大の字になって寝ているのを描写しているといわれています。
つまり、大の字になって寝ることが出来ているのはこのお布団のお陰でした、有難うございますという感謝の心が恩という字の成り立ちでございます。
もちろん言うまでもなく、布団に何か他のものを置き換えて考えてもいいということですね。
とにかく、お陰様です有難うございますというお心が恩でございます。

では、次にかたじけないはどのような意味があるのでしょうか?
このかたじけないは、ごめんなさいとありがとうございますをミックス(融合)させたお言葉であるとお聞きしたことがございます。
例えば、自己を中心とする煩悩を持っているということに対し、ごめんなさい。しかし、そのような私が生かされていく道がある、有難う。というように、ごめんなさい、そして有難うございますという両方を思ったときにかたじけないという言葉が出るのではないでしょうか?

それから最後に、人間ではなく人と言ったり、茶の間や床の間など何とかの間という部屋が減少傾向にあったりします。
それは、人と人との間柄を大事にしなくなってきている表れではないでしょうか?
私が学生の頃、衝撃的なことを耳にしたことがございます。
なんと、お昼ご飯をいただくときに人と関わりたくないからお手洗い(トイレ)の中で食事をする人が急増しているという話でした。
初めお聞きしたときびっくりしましたが、この時代ですから、あり得る話だなと思ってしまいました。

このように色んな使われなくなった言葉を見てきましたが、言葉を使わないということはそのお心を深く感受することが出来なくなってきている表れだと思います。

大事なお言葉、大事なお心を大切に出来ない私たちでありますが、お育てやおはたらきの中で出来る限りは意識させていただきたいものでございます。

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

 

 

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