自分中心と自分らしくは違う

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺の楠木光雲です。

本日お勤めをさせていただいた後にご門徒様から貴重なご質問をいただきました。

【自分中心に生きる】と【自分らしく生きる】はどう違うのでしょうか?というご質問でした。

本日は自分中心と自分らしくは違う、ということについてお話しさせていただきたいと思います。

自分を中心に生きるとはどのような生き方でしょうか?

自分を中心に生きるというのは、自分が生きてきた人生経験(自分の計らい、自分のものさし、我執)をもとにどんなことも判断してしまうことです。

もちろん人生経験は大事なことですし、どんどん積んでいった方が良いと思います。

しかし、ときにその人生経験を基にしたものさしは人を傷つけることになってしまったり、悩みを生み出すものであるということを忘れてはなりません。

自分のものさしで価値判断するとどうなってしまうのかと言いますと、

相手にとって良いことも自分にとっては悪いこと。

自分にとって良いことも相手にとっては悪いこと。

という状況に直面することになります。

当然ながら、全く同じ人生を歩んできた人は一人もいません。

ですから、その人生経験をもとに善悪というものを判断したり、物事を価値判断すると、周りの人と自分でズレというものが起こります。

私が良いことだと思っていても、相手はときにそれを悪いと判断します。

何故私の善を分かってくれないの?という風に争いが起こってしまいます。でも相手は相手の善なのです。

そこで何が必要なのか?といいますと、

親鸞聖人やお釈迦様は、念仏や阿弥陀という心こそが大切なのだとおっしゃっています。

もう少し噛み砕いて言えば、絶対的な価値判断基準(理想の姿、心)が大切ですよと教えてくれているのです。

この価値判断基準(理想の姿、心)を中心に置いて、今まで中心に置いていた我(自分)というものが一番外核にくる。

その逆転現象を仏教では回心といいます。この回心が起こっている状況を信仰といいます。

どんなこともこの阿弥陀という生き方にリードされ生活をする。(お釈迦様は法灯明と表現しています)

間違っている道なのか正しい道なのかは全てこの阿弥陀という心があれば見えてきます。

果たしてそれが実行できるのかというと、それは別の話であり難しいと思います。

けれど、自分がどういう道を進んでいくことが幸せなのか、どういう考え方や生き方が良いことなのかということは見えてきます。

自分、我というものさしで物事を判断する生き方をすれば、必ずといっていいほど行き詰まります。

自分を中心にしてはならないとは分かっていても自分を中心にしてしまうのが私たちです。

そのような自己中心的な私たちですが、出来る限りは自分の中心に理想の姿(阿弥陀様)を置いて、羅針盤として生活させていただきましょうというのが浄土真宗の教えです。(専門用語で他力本願といいます。)

 

それから、自分らしく生きることはどうなのか?ということですが、自分らしく生きるということと自分を中心に生きるということはまた別のように感じます。

むしろ、自分らしく生きていかなければならないと思います。

では、仏教で自分らしく生きるとは、どのような生き方なのでしょうか?

結論から申しますと、ものごとを本来のありのままに見るという生き方であると思います。

例に挙げるときりがないですが、一つ具体例を挙げたいと思います。

私たちが物事をありのままに見ることが出来ていない一つの例が「老・病・死」です。

年を重ねることは体を痛めていくだけ。病気することは体が蝕まれていくだけ。死が人生の終わりおしまい。

そのように、私たちは「老・病・死」をマイナスにしかどうしても見られません。

でも、仏という眼で「老病死」を見たらどうでしょう。

年を重ねるということは心、感性、気持ちがどんどん豊かになっていく。

病気をすることによって当たり前と思っていたことが驚きだったと気付かされる(諸行無常を感じる)。

死が終わりではなく、「往生」、私たちの心(仏教では浄土とよんでいます)に生まれて往く。

というように、逆境ではあるのですが、そこになんとか光(プラス)を見ていけるのです。

どんな逆境に置いてもそこに光を見出して、物事をありのままに見ることが出来る、それが仏の眼(阿弥陀という感性、心)であると思います。

自分が自分らしく生きていないとは、どんなこともありのままに見られないことではないでしょうか。

自分らしく生きるとは、このように物事をありのままに見られる眼を開かされることと思われます。

自分の我が計らい(煩悩)は生涯消せずにつきまとうものではありますが、できる限りは我が計らい(ものさし)を捨て阿弥陀という理想の姿を大事にし、そしてありのまま物事を見ていくという自分らしい生き方で共に人生を歩んでまいりたいと思います。

 

 

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

ホームページhttp://sinkouji.mail.jp/

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