生のみが我らではなく、死もまた我らなり

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺 楠木光雲です。

3日前の3月9日(2019年3月9日)、神戸別院で終活をテーマとした行事にスタッフとして参加し、お手伝いをさせていただきました。

そのときのことを少し書かせていただきます。
私は当日受付を担当させていただいたのですが、空き時間に私も納棺体験をさせていただきました。
生まれて初めてお棺に自ら入らせていただいたのです。
いつか自分もこんなときがくるのだろうと思うと、本当に色んなことを考えさせられました。
日本では死というものを隠していく傾向があるそうです。
テレビなどでもご遺体は映しません。
しかし、インドでは死というものをもっと直視します。
危険な崖があれば注意書きと一緒にそこで亡くなった方の顔写真も掲載するところがあるそうです。
生のみが我らではなく、死もまた我らなりというお言葉もありますように、死というものを感じることで生の大切さに気付かされるということもあるのかな?と思いました。
納棺体験だけではなく、模擬葬儀や専門家による終活セミナー、遺影撮影体験など盛りだくさんでした。
たくさんの方々の支えによって行事が成り立っているということにも気付かされましたし、とても貴重で有難い時間を過ごすことができました。

本当にありがとうございました。

南無阿弥陀仏

生のみが我らではなく、死もまた我らなり」への3件のフィードバック

  1. 安養寺で ご法話たまわった者です。足利師との貴重なお話 有難うございました。
    先日の催しは あいにく行けませんでした。

    市報でも ご覧になると思いますが、尼崎市はサマーセミナーを催しています。
    小生も 宏林師のご縁で参加させていただいております。

    今年は つかしんと関係のあった池田家と楠氏を中心に発表の予定です。
    ご指導 たまわれば幸いです。

  2. 安養寺で ご法話 たまわった者です。足利師との貴重なお話 有難うございました。
    先日の催しはあいにく行けませんでした。

    市報で ご覧になるかと思いますが、尼崎市ではサマーセミナーを催しています。
    小生も 宏林師のご縁で参加しました。

    今年は つかしんに縁のあった池田家と楠氏を中心に発表の予定です。
    ご指導たまわれば幸いです。

    • ご返信遅くなりまして、申し訳ございません。
      安養寺様でのご法縁はとても貴重で、布教大会や常例布教など様々な行事をされていて、いつも色んなことを味わわせていただいております。とても有難くて勉強になります。
      それに、お寺がこんな楽しいところだったのだ!と思わさせられます。
      真光寺(自坊)でも積極的に色んな活動をしたり、行事を行ったりしていかねばと思っております。
      おっしゃってくださった行事は、みんなのサマーセミナーという行事でしょうか?
      つかしんは近いですし、また開催されるときにはチェックしておきます。
      コメントいただきまして、とても嬉しく思います。
      本当にありがとうございます。

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