無量寿 輪廻転生について

皆様こんにちは。

武庫之荘  浄土真宗  真光寺  楠木光雲です。

本日は命の捉え方や輪廻転生について、お話をさせていただきます。

ぜひご覧いただければ嬉しく思います。

世間一般的に命はどのように捉えられているでしょうか?
世間一般的に命は「私は私という命を生きている。私という命が尽きれば、私という人間は終わり。」
というように、考えられているのではないでしょうか?
しかし、浄土真宗ではそのようには考えていないように思います。
では、どのように捉えているのか?というと、「私の根源は無量寿という量り知ることが出来ない命である。つまり、無量寿という命が私を生きている。」
という風に考えているのではないかと思います。
私という生命体の体が尽きたら、無量寿という命の根源に還るということです。
この無量寿という命の親、命の根源を浄土真宗では阿弥陀様とお呼びしております。
喩えを出すならば「海の気泡の喩え」が、とてもしっくりきてわかりやすいと思います。
海を見ておりますと、時々、気泡が出てくることがあります。
その気泡は長く気泡であり続けるものもあれば、すぐに消えてしまうものもあります。
消え方もそれぞれで、岩に当たって消えることもあれば、自然に消えていくこともあります。
でも、この気泡は本当に消えたと言えるでしょうか?
これは、消えたのではなく、海という根源に還ったのでないでしょうか。
気泡の正体は元々、海でした。
その海から気泡があらわれて、なんらかの理由で気泡が消えるとき、その気泡はまたその海に還っていくのです。
それと同じように、私たちも無量寿という量り知ることが出来ない命が私を生きている。
私という体が尽きたとき、その命であります無量寿という命の根源に還るということです。

ある方が輪廻転生はあるのでしょうか?とおっしゃられました。
輪廻転生はあると言えばあると言えますし、ないと言えばないと言えると私は思います。
曖昧な表現で申し訳ございません。
しかし、非常に深い内容なので、簡単にこうです!と一言で申し上げることが出来ないのです。
本当に申し訳ないと思いますが、適当なことを申し上げることが出来ないので、どうかお許しをいただき、ご理解いただければ幸いです。

命の根源になるということは、すなわち、なろうと思えばどのような命にもなることが出来る、ということです。
どのような命にもなることが出来ると言うより、生きとし生けるものは全て、無量寿の種ですと言ったほうが表現が良いでしょうか。
生きとし生けるものは無量寿の種です。
そして、無量寿は生きとし生けるものを生きています。
つまり、どちらも無量寿のつながりがあるということです。
だから、それすなわち、本当に極論ではありますが、輪廻転生をしていると言ってもいいのではないかと思うのです。
そういう点から見れば輪廻転生はあると言えます。
無量寿という命が私を生きている。
それだけではなくて、無量寿という命は動物、虫、人間、あらゆる生命体を生きているのです。
「一切衆生悉有仏性」というお言葉もありますように、一切の生きとし生けるものは仏様の種である。仏様になる可能性を秘めている。仏様が私を生きている。ということです。
輪廻転生がありますか?の回答をあります!とするならば、このようなご説明をさせていただきます。

しかし、一方、輪廻転生がないとも回答出来ると思います。
そう言いたい理由は、世間一般の方々が用いている「輪廻転生」は、迷うという意味で使っておられることが多いからです。
死んだら次は蛇になるのかな?とか、死んだら次は虫になったら嫌だな。とか。
大体の方々がそのようなイメージをお持ちです。
だから、そのような方々には輪廻転生はないと言ってあげた方がいいかもしれません。
往生したら仏様になる、無量寿という根源に還るということを踏まえていない(理解していない)場合は、輪廻転生があると言うのは少しあぶない気がします。
余計に混乱させてしまうからです。
それらを理解していない方に簡単に輪廻転生はあります!と申し上げると「やっぱり輪廻転生はあるんだ!私の次の人生はゴキブリではなくて、崇高な生き物が良いな!」などと、とても浅い味わいをしてしまいます。
簡単に回答をしてしまいそのような味わいをされるのは、とても残念でなりません。

無量寿という命はいわば、どんな命にもなれる。
いや、どんな命にもなっている。むしろ、もうすでに無量寿が私を生きているのであれば、輪廻転生の人生を歩んでいるとも言える。
しかし、死んだら何か訳の分からないくだらないものになるという考え方は違うので、その点には気をつけましょう。
だから、結論、輪廻転生はあるとも言えるし、ないとも言える。のではないでしょうか?
というのが、私の現状の答えです。
私の現状の精一杯の味わいの中で感じたことです。
まだまだ私は未熟者です。
そして、これからも未熟者であり続ける私です。
また、色々な方々のご教示を賜りたく思います。
うまく伝えられたか分かりませんが、最後までご覧いただき、本当にありがとうございます。

南無阿弥陀仏

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です