切実な願い

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺 楠木光雲です。

本日は切実な願いを申し上げたいと思います。

それは、形だけのお勤めや形だけのお念仏になってほしくないということです。

手を合わせる姿は言うまでもなく有り難い姿だと思います。

もちろん有り難いのですが、周りの人に格好をつけるためにするお念仏やお勤めは有り難い姿とは言えません。

何もわからなくても手を合わせて南無阿弥陀仏と称えましょう、ということをおっしゃられる人もいると思います。

しかし、果たしてそれで何か変化や成長はありましたでしょうか?

やはり、貴重なお時間を使ってお勤めをするからには、色んな気付きや味わいがあってほしいです。

極論お仏壇に手を合わせていなくても、本当の意味で手を合わせることができているのであれば、お仏壇の前で手を合わせなくてもいいと思います。

私が一番自分勝手で自己中心的な生き方をしていた、と気付かされていくということが、本当に手を合わせるということではないでしょうか?

そこに気付かされる手段は、仏法以外にありえないのです。

例えば、足を踏まれたら足を踏んだ人に腹が立つと思います。

でも、その足をその場所に置いた私が悪かった、という考え方になれるかどうかです。

みんな、自分が一番です。

でも、自分をいっときでも捨てさせてくださる教えは有り難いと思います。

ずっと自分を捨てられるわけではないです。

でも、一瞬でも私は私を中心にすることを恥じることが出来るのは素晴らしいことではないでしょうか?

こんなことを味わえるものは仏法以外にないと思います。

1人でも多くの方が形式的ではなく、本当の意味で手を合わせてほしいと、切実に願います。

私もその1人(形式ばかりではなく本当の意味で手を合わせる)になりたいと思います。

お勤めの機会がどれだけ増えても、形だけにならず、本当の意味で手を合わせたいと思います。

南無阿弥陀仏

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