一周まわってやっぱり親の有難さ

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 本願寺派 真光寺の楠木光雲と申します。

本日は、一周まわって、親はやっぱり有難いということをテーマにお話をさせていただきます。

浄土真宗を大事にしておられる方であれば、親子の話は耳にたこができるぐらい聴いてきたはずです。

しかし、それでも私は親の話をお聴かせいただきたい(味わわせていただきたい)、そして話し続けていきたいと強く思います。

仏様は量り知れない存在ですから、言うまでもなく、私たちの世界のものでたとえることは到底できません。

でも、この私たちの世界で、唯一、仏様のことをたとえることができるものがあるとしたら、親ぐらいだと言われております。

ですから、親子の話は正直、皆様聴き飽きたぐらいお寺などで聴いてきたはずです。

最近、親が子を傷つけるニュースなどが出てきてしまい、親子のたとえが出来ない時代になってしまいましたし、正直少ししづらい現実があります。

しかし、私はそれでも親子の話が好きですし、ぜひこれからもさせていただきたいと思います。

時代など重々承知の上で、一周回って、やっぱり親は有難いということを感じます。

私は幸いにも、本当に有難い父親と母親に産んでいただきました。

ある尊敬する先生が、最高の親孝行は、この世に生まれてきて本当に良かったですとならせていただくことであり、それをご両親に伝えることではないかとおっしゃられました。

あなたが生まれてきてくれて本当に良かった、ありがとうね、と私が知らないときから自分の両親はずっと声をかけ、ずっと思い続けてくれていた(現在進行形で思い続けてくれている)のだと思います。

ときに、その親心を忘れてしまって、なんでこんな目にあわないといけないのだ、なんでこんな嫌なことが起こるんだ、私なんか生まれて来なければ良かった、頼んでもないのになんで私を産んだんだと思うこともありました。

でも、それでも、私の父と母はそんな私に、生まれてきてくれてありがとう、あなたがいてくれてよかったと思ってくれていると思います。

つまり、私は、親心に背き、そのあたたかい心の中にありながら、その御恩を無視し続けてきたのだと思います。

でも、そんな無視し続けてきたあたたかい親心に背く私であっても、父と母は見捨てないで、あなたはどんなあなたであっても本当にいてくれるだけで嬉しいんだよと私のことを思い続けてくれたと思います。

実際に具体的な言葉を聞いていなくても、そういうことは間違いなく伝わります。

曖昧なことではありません。

誰がなんと言おうと私はそう確信しております。

私のことを願い、量り知れないあたたかい想いで育ててくれたことに感謝致します。

そのように思えたのは、間違いなく浄土真宗の教えに遇わせていただいて、仏様の御恩を知ったからなのだと思います。

一番身近にいる有難い人の御恩を、そのまんま有難い御恩と受け止めることがほんの少しだけでも出来たことを有難く思います。

実際の親、それから親様といわれている仏様のいつも変わらないあたたかいお心を、これからも、そのまま有り難く受け止めることが出来れば嬉しいです。

南無阿弥陀仏

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