浄土真宗における救いの意味

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。

本日は、浄土真宗において救われるとはどういうことを意味しているか、お話しさせていただきます。

救われるとはどういうことでしょうか。

救いとは、空を飛べるようになることでしょうか。寿命が延びることでしょうか。治らない病気が治ることでしょうか。怪我や病気をしなくなることでしょうか。

残念ながら、浄土真宗の教えではこのようなことは一切出来るようになりません。現実的に不可能です。

では一体、救いとはどういうことなのでしょうか。

今まで味わえなかったことが味わえるようになった。

マイナスにしか感じれなかったことがプラスの世界を感じられるようになった。

病気をしてしまったのではなく、いただいたと思えるようになった。

命が尽きることを終わりではなく、またお浄土という世界に生まれ往くと味わえるようになった。

生きているのではなく、生かされているということに気付けた。

この世に生を受けた者はどんな人も命をいただいて、生活をしているので、自分だけの力だけではなく、様々な他の支えがはたらいていると知れた。

あたりまえに思っているものも実は無常のものが多く、諸行無常の世界を味わえるようになった。

あたりまえに思っていたものにも深く感謝できるようになった。

浄土真宗の救いとはこのようなものです。

少し例を挙げただけでも、これだけ多くのお育てが届けられているとわかります。

いま、ここ、わたしにたくさんの救いが届けられているのです。

このような量り知れない救いを南無阿弥陀仏というのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

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