賢 愚

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺 楠木光雲です。

ある先生からお教えいただいたことです。

浄土真宗において、愚か者とは知識がない者のことをいうのではなく、ものごとに対する正しい判断力が備わっていない者のことをいうのである、と。

真実を真実と味わえず馬鹿にして、見向きもせず、真実でないものを真実と見てしまう。

そんな判断能力の乏しい者を愚者というのですね。

仏様という存在が賢であり、自分(私)という存在が愚であるということを知らされていく、というのが仏教のもっている力ではないだろうかと思います。

今まで自分を賢と思い込み、仏様を愚としか思えなかった私が、真逆に転ぜられる。

そんな不思議なおはたらきが届けられるのです。

最後に大切な言葉をご紹介して、終わりとさせていただきます。

「愚者になりて往生す」

南無阿弥陀仏

私の中に仏説は1ミリたりともなし

皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺 楠木光雲です。

いろんなご縁を賜り、御法話をお取次ぎすることがありますが、その都度何を話せばいいのだろうか?と思います。

しかし、いくら考えても考えても、悩んでも悩んでも、自分の脳で自分の話を考えても良いものは一切出てきません。

何か出てきたとしても、それはそこに真実は一ミリたりともありません。

やはり、仏説をお取次ぎしないと法話ではないということです。

仏様の説かれた教えやお言葉をそのままお話しさせていただく以外にないということです。

自分が作り上げたものは、簡単にちょっとのことで崩れます。

浄土真宗では浄土三部経(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)を拠り所にしていて、その三つ共に、仏説という言葉がついております。

自分の経験してきたことや、考えをまじえずに、唯信仏語、ただ仏様のお言葉をお聴かせいただき受け入れさせていただくということを、また改めて意識させていただきたいと思います。

南無阿弥陀仏