地獄と極楽はどこにある?

皆様こんにちは。浄土真宗 尼崎 武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。

本日は地獄と極楽はどこにあるのか、ということについてお話しさせていただきます。

皆様は地獄や極楽の世界はどこにあると思いますか?と聞かれましたら、どのようにお答えになられますか?

ある人はこのようにお答えになられます。

『仏説阿弥陀経』の中に従是西方過十万億仏土有世界名日極楽というように記載されています。ですから、西の方向にとてつもなく長い距離離れたところに極楽があるのではないでしょうか。
また、地獄は、私たちの世界の下の方向にとてつもなく長い距離離れたところにあるのではないでしょうか、と。

全ての方々がそのようにお思いではないとは思いますが、世間の方々の地獄や極楽のイメージはこのような感じではないかと思います。

しかし、実は、地獄や極楽は私たちの世界と離れた場所にはありません。

地獄は人を責め、傷つける心(怒り腹立ち嫉み妬む心も含む)を表しています。

そして、極楽は人の幸せを一番に願い、不幸を背負ってでも人に幸せを分け与えていく心を表しているのです。

つまり、地獄や極楽は私たちの世界と別の世界(空間)にあるのではなく、この私たちの世界が私の心のあり様一つで地獄にも極楽にもなるのだ、ということです。

では、何故『仏説阿弥陀経』に西の方向にとてつもなく長い距離離れたところに極楽世界があると説かれているのでしょうか。

それは、私たちの心と仏様の心はかけ離れている。
全く正反対のお心であり、それだけギャップがあるということを巧みな表現によって示そうとしているのだと思います。

親鸞聖人は地獄と極楽どちらの方なのでしょうか?

親鸞聖人はご自身のことを「私の住処は地獄です」とはっきりとおっしゃられました。

周りの人から見れば、仏様のような極楽の方なのに、謙虚に(ご本人からしたら謙虚でもなんでもなく、本気で心から地獄が住処であると思われたはずだと思います)自分自身のことを受け止められた方だったのでしょう。

光が強く当たれば影は濃く出る。

仏様と出逢ったがために自身の地獄性に気付かれたのだと思います。

学ぶとは、よく真似ぶと言われています。

私たちは親鸞聖人の歩まれた道、生き方を同じように歩まさせていただくべきです。

それが、浄土真宗の生き方と言えるでしょう。

皆様も仏様のおはたらきによって、自身の地獄性と向き合っていただければ幸いです。

 

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分