皆様こんにちは。浄土真宗 武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。
本日は他力本願の浄土真宗について、お話しさせていただきます。
友人の親御様のお話です。
ある時、お留守番をしていますとピンポーンとインターホンが鳴り、家に宅配便で大きな箱が届いたそうです。
送り主はいつもお世話になっている方でした。
長年付き合いがあったため、何かおくってくれたのでしょう。
家の中で箱を見ますと、箱には夕張メロンという字が書かれてありました。
奥様は大変喜ばれたそうです。
早速一ついただこうと思い、箱を開けますと、そこにはなんと、たくさんのお芋が入っていたそうです。
奥様はどう思ったのかといいますと、正直、夕張メロンの口になっていた。
何故こんな紛らわしい箱に入れたのだと苛立ちの心まで起こってしまったそうです。
箱の中には手紙が添えられていました。
いつもお世話になっております。
このお芋は、私の実家で採れたものです。
気持ち程度ですが、召し上がっていただければ幸いです。
これを見たとき、奥様は大変申し訳ない気持ちが湧き上がってきたそうです。
何故なら、そのお芋を作るまでにはたくさんの見えない労力がかかっているからです。
土を耕し、水を毎日あげ、お芋ができたならば、それを掘って綺麗にする。
もしかしたら、送り主の方一人だけではなく、たくさんの人が育てていたかもしれません。
けれども、箱を見るや否や、勝手に高級な夕張メロンだと思い込み、そのたくさんの方々のご苦労を無視し、夕張メロンでなければ、苛立ちの心まで起こしてしまったのです。
このようなことは、私たちにもあるのではないでしょうか。
勝手に思い込んでしまったり、自分が間違っていることを指摘されたときには苛立ち、嫉み、妬む心が湧き上がってくる。
色眼鏡で物事を判断してしまうこともあります。
人と意見が合わないのは各々が生きてきた人生経験をもとに判断するからです。
80年生きてきた人は80年の自身の経験をもとに物事を判断します。
それを指摘されると、80年間を否定された気になるのです。
でも、その経験による思い込みこそ、ときには間違っていることもあるのです。
自分というものほど頼りにならないものはないのです。
何かに頼って、丸投げして、自分は何もしないという意味では決してありません。
経験や判断能力は大切だと思います。
けれども、ときにその絶対的な自信からくる言動もある人からしたら間違っているのです。
認めたくないほど完全に正しいと思っていることも間違っていることもあるのです。
常にその意識、自覚を持っておかなければならないと思います。
自分は悪いことをしたことがない。犯罪を犯したことがない。非道徳的なことはしない。
ではその人は善人なのでしょうか。
必ず、その人はその人が知らない場所で人を傷付け、自分を中心にした言動をしてしまっているでしょう。
つまり、悪人ではない人などこの世にいないのです。
私は悪いことをしないと言えてしまうことこそ、思い上がりなのです。
悟るということは、目覚めるということです。
気付かされるということなのです。
それも、自分は悟れないのだ、自分はどこまでいっても自分というものを中心に生活してしまっているのだ、ということに気付かされるのです。
ちょっとやそっと良いことを積み重ねても善人にはなれないのです。
もし、一週間出来たとしても、一週間後にはまた次から次へとおさえなくてはならない心が出てきます。
きりがありません。
よく、煩悩は髪の毛の如しといわれます。
切っても切っても伸びてくるのです。
煩悩というものを諦めるわけではありません。
欲のままに、思いのままに言動してしまうということではありません。
そのような言動は慎まなければなりません。
では一体何が申し上げたいかといいますと、そんな簡単なものではないということです。
自分ではなく他人の幸せを一番に考えていくことの難しさ、他人の痛みを自分の痛みだと共感することの難しさを申し上げたいのです。
浄土真宗は他力本願で自力の修行はしません。
ですが、「自覚」と「気付き」という修行はあるのです。
南無阿弥陀仏を称える、また南無阿弥陀仏を領解することが行なのです。
南無阿弥陀仏はもちろん一言では言い切ることは出来ませんが、「自覚」と「気付き」を与えるものです。
私たちは何もしないのとは違うのです。
勘違いしてはなりません。
様々なことを行って、自分で気付いていくのではないのです。
答えはもう用意されているのです。
気付くのではなく、気付かされるのです。
それを他力本願だというのです。
結局自分はどうしようもない地獄のような心を持っているのだというところにたどり着くのです。
その答えから、スタートなのです。
答えの方から道を歩ませていただく生き方を浄土真宗というのです。
楽だと思い込んでいる方は改めていただければ幸いです。
浄土真宗の道は厳しいです。
自分と本気で向き合わなければならないからです。
自分から逃げれば、それは行ではありません。
南無阿弥陀仏を素直に受け取らせていただくということは、誠心誠意、諦めずに自分と向き合うことでもあります。
浄土真宗の教えは分かりづらいことも多いのでよく誤解されやすいと思いますが、一人でもそのような方が、なるほどと納得していただけたら嬉しいです。
長くなってしまいましたが、気持ちが伝われば幸いです。
南無阿弥陀仏
浄土真宗本願寺派 真光寺
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