レンタカー 完全燃焼

皆様こんにちは。私は尼崎  武庫之荘  お寺  真光寺  楠木光雲と申します。

本日はレンタカーの譬え話をお聞きしましたので、皆様にも共有させていただきます。

レンタカーショップで高級な車、例えばベンツやBMWを借りたとしまして、ドライブや旅行に一切行かずに車庫(駐車場)に一日中とめて、返却したらどうですか?

言うまでもなくとてももったいないことでございます。

けれども、これと同じようなことを私たちはしてしまっているのです。

どういうことかと申しますと、私たちはベンツやBMWよりももっともっと価値がある人間という体(いのち)を授かりました。

この尊い体は命が尽きたら返却しなければなりません。

体は借りているものですので、やがてはお骨になり、土に還り、自然に還り、無量寿という命の根源に還ります。

私たちは一日一日をこれ以上はないというぐらい完全燃焼出来ているでしょうか?

最高の感性で最高の時間を過ごせているでしょうか?

自分自身に問いかけてみますと、残念ながら、一日一日を大事に出来ず当たり前に過ごしてしまっております。

しかし、私たちは必ず体を返却しなければならないときがきます。

それは、何年後かはわかりません。

もしかしたら、明日かもしれません。

その必ずくる体を返却するときには、自分の人生が最高に有り難かったありがとう!と胸を張って言えたらいいなと思うのです。

そのような方が1人でも増えたら本当に嬉しいですし、私自身も完全燃焼したいと思っております。

自分の人生が有り難いと合掌していけるような最高の感性、最高の時間を精一杯過ごしたいと思います。

 

南無阿弥陀仏

 

申し上げ忘れていました。

しかし、このような大切なことを何度も忘れてしまうのが私たちです。

忘れてはまた、お聞かせいただいて、そうであったかそうであったかと思い出し頷いて、出来る限りは仏様の願いにかなった生き方を意識させていただきましょう。

 

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

9月7日 真光寺にて 行事のお知らせ

皆様こんにちは。浄土真宗 武庫之荘 寺院 真光寺 楠木光雲です。

本日は、2018年9月7日に行われる真光寺の行事について、お話しさせていただきます。

【お経を一緒に読みましょう!】

浄土真宗でよく読まれるお経を、一人で読めるように一緒に練習します。

どなたでもお気軽にお越しください。(御門徒様ではなくても、もちろんお越しください。お経を読んでみたい方であれば、ぜひお気軽に足を運んでください。)

【日時】2018年9月7日(金曜日)

16時から約1時間

【場所】真光寺 本堂にて

【持ち物】筆記用具 お経本(324円で購入も可能)

※注意 天候やお勤めの状況によってはお休みする月もございますので、かなりの悪天候であれば、お電話(06‐6437‐7571)にてご確認いただけると幸いです。

浄土真宗の正しいお作法やみ教えなど・・・皆様にとって人生を歩んでいくうえで大切なこと、必要不可欠なことを一緒に学び、味わわさせていただきたいと思います。

ぜひ、お気軽にお越しくださいませ。

ゆっくり、丁寧に、優しく、進めていきます。第一回目は手の合わせ方やお焼香の仕方を勉強しました。

分らないことを解消する機会にしたいので、全く何も分からないからこそ一緒に御縁をいただくべきです。

一人でも多くの方にお越しいただけることを、心よりお待ちしております。

最後に、私が大切にさせていただいている言葉を紹介させていただきまして、本日のご縁とさせていただきます。

学仏大悲心(仏様の大悲の心を学ばさせていただくという意味です)

たった一つのみことばの中に無量の仏徳が込められています。

 

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

有難い話とは?

皆様こんにちは。浄土真宗 尼崎市 武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。

ふと有難い話とは何なのか?と考えました。

有難いとは文字の如く、有ることが難しいということです。

つまり、当たり前に考えられることではなく、普段は考えることが出来ないことや感じることが出来ないことを、考えることが出来たり感じられたりすれば、それは有難い話なのではないでしょうか。

普段考えないことはどんなことがあるでしょうか?

案外、自分自身のことは考えているようで考えていないのではないかと思うのでございます。

たとえ話を出すならば、私は私のことをよく知っていない証拠に私は私の顔を直に見たことがありません。

顔を見るには鏡という虚像(本物ではなくコピー、偽物)が必要なのです。

後頭部を見ようものならば、鏡という虚像を2枚も合わせなければ、自分の後頭部を見ることが出来ないのです。

何を申し上げたいかといいますと、私は私のことをよく知らないということです。そして、私は私のことをよくみることが出来ず、深く理解出来ていません。

私たちの世界にある鏡は全く頼りになりません。

デパートなんかに行って全身を見ることができる鏡を見てみてもそうです。

全身のコーディネートを確認することがあると思います。

バッチリだと思っていても、それは実はその鏡はスラッと足が長く見えるように細工が施されているということもあるそうです。

デパートにある鏡はたとえ話として取り上げましたけれども、私たちの世界では、当てになるものや、私を本当に知らせてくれるものは一つとしてないのかもしれません。

けれども、有難いことが、当たり前ではない普段考えられないことだとしまして、普段考えないことが私自身のことであるならば、言うまでもなく私自身のことを知らされるということが非常に重要であるということです。

しかし、この私の有様にどのような方法で気付いていけばいいのでしょうか?

あなたは愚かです!あなたは地獄のようなドロドロした心があります!といくら人から言われましても、そうですか本当に申し訳ございませんでしたと表面的に口にするだけで、結局心の腹の底からの反省は私の素直ではない心は出来ません。

むしろ、反発の心が湧き上がってくるのではないでしょうか。

いや、私は案外良い人だ!私は犯罪を犯したこともないし、嘘もそんなにつかない・・・などと受け止めるどころか言い訳を口にしてしまいます。

では、どうすれば良いのでしょうか。

それは、本来あるべき尊いお心を知らされることが私の有り様に気付くことの始まりだと思います。

素晴らしいお心に触れるということは本当に大切です。

そうすれば、いちいちあなたは地獄の心がありますよ!などと言われなくても、自ずと私にはそんな尊いお心はどこを探しても一切ありませんでした、むしろ全く真逆に生きていました、となるのです。

ふと、有難い話って何なんだろうかと思ったことから、深いところまで考えるに至りました。

けれども、このような根本的な悩みがとても大切なことだと思います。

これこそが仏教だと思います。

亡くなってから必要な教えではなくて、今の私に必要であり、自分の凝り固められた心や考えがぶち破られて、真実の眼が開かれる。

この仏教というものはなんと完成されているものなのだろうか!とまた改めて実感させられました。

本来あるべき姿やお心を常々お聞かせいただき、私の普段気付けない愚かな部分に出遇わさせていただきましょう。

仏法は鉄砲の反対という言葉がございます。

鉄砲は外側を打つけれど、仏法は自分の腹の底の心を打っていきます。

有難き言葉です。

 

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

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有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ

皆様こんにちは。浄土真宗 尼崎市 武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。

最近は地震や大雨、また暑さというように災害や異常な気象が続いております。

私たちは年の初めに、どこかで順調にいきますようにと願っていたのではないでしょうか。

しかし、世の中一寸先はどうなるかわからないというのが現実です。

このような大きな出来事が続いて混乱しているときにこそ、今一度大切なことを再認識しておくべきだと思います。

順調という言葉は立場や年代によって表現が異なります。

たとえば、順調という言葉を仏教の言葉に換えればどんな言葉になるでしょうか。

実は面白いことに「図に乗る」という言葉になるのです。

現代では悪い意味で使われることしかないと思いますが、実のところ昔はとても良い意味で使われていたそうです。

図とは、楽譜、音符、音階、節などを表していました。

つまり、楽譜通りに音を出すことが出来たならば「あなたはとても図に乗れていますね」というように褒められたそうです。

順調という言葉は仏教においては図に乗るという言葉に変換されるのです。

では、現代の若者はどのように順調という言葉を表現しているのでしょうか。

現代の若い方々は「勝ち組」という言葉をよく使っているそうです。

「勝ち組」とは何を指して言う言葉でしょうか?

会社や学校で目立っている人、コミュニケーション能力が高い人、容姿が整っている人、良い学校や良い会社に所属している人、お金をたくさん持っている人・・・。

まだまだあるかもしれませんが、このようなものを指して勝ち組と言っているのではないでしょうか。

そして、それとは反対の人たちのことを「負け組」と言ったり、思ったりするのです。

これはとても極端な物事の見方で、魅力的な物事の見方とは言えないと思います。

ご和讃に「解脱の光輪きはもなし 光觸かふるものはみな 有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ」とお示しくださっています。

特に「有無をはなるとのべたまふ 平等覚に帰命せよ」というお言葉に着目していただきたいです。

噛み砕いて申し上げますと、そのような極端なものごとの見方から離れて、平等にみることが出来るお心をいただきましょうということをお経は伝えてくれているのです。

仏教の発祥の地はインドですが、インドのご挨拶はとても素晴らしいお心が込められています。

お聞きになられたことがあると思いますが、「ナマステ」というご挨拶をインドでは致します。

「ナマス」はお敬いしますという意味です。

そして、「テ」が、あなたということを意味します。つまり「ナマステ」は、あなたをお敬い致します、というご挨拶であるということです。

容姿、学歴、年齢、性別、経験など一切問わず、あなたのことを尊い命であると思ってお敬いさせていただきます、という大変有難いご挨拶なのです。

競争社会、比べてしまう世の中で生活を送っているからこそ、このお心を大事にさせていただきましょう。

何が大切なのかわからなくなってしまうぐらい大きな出来事が続きます。

今一度、このお心を自身の柱としていただければ幸いです。

 

 

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

仏様という感性で丁寧に生活させていただく

皆様こんにちは。私は尼崎市南武庫之荘にございます浄土真宗本願寺派のお寺、真光寺の僧侶、楠木光雲でございます。

本日は忙しい毎日を丁寧にどのようなことを意識して生活させていただくのが好ましいか、ということについてお話を進めて参りたいと思います。

お経にはたくさんのヒントがあります。

仏説阿弥陀経の中に、八功徳水(はっくどくすい)という言葉が出てきます。

いつもお読みする度に反省させられる言葉でございます。

仏様という感性やお心で水を見たら、八種、いや八種どころではなく無限の可能性を感じることが出来るという言葉です。

私たちはいかがでしょうか?

毎朝顔を洗うときに使わせていただいているお水。

家族そろっていただいている食事やお茶、お水。

大切に出来ているでしょうか?

このようなものに対して、涙を流すぐらい深い感動を味わえる、これが仏様という感性やお心なのだ、ということでございます。

そのような感性やお心はなかなかに真似出来るものではありません。

しかし、本来はこういう感性で毎日を丁寧に生きさせていただくべきだと思います。

当たり前という毎日ではなく全ては驚きの連続であると、一瞬一瞬のご縁に深い感動を味わって毎日を過ごしたいものでございます。

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

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お盆 丁寧に生きるとは

皆様こんにちは。武庫之荘  浄土真宗  寺院  真光寺  楠木光雲です。

今月はお盆の月ということで、1日から15日までいつもよりは忙しい毎日を送っておりました。

浄土真宗では、お盆を特別視しません。

亡くなられた方がこのお盆に還ってきて、また浄土にもどられるという考えではないからです。

毎日が南無阿弥陀仏というお念仏を通して亡き人と出逢っている。

一時的なものではなく、常におはたらきの中にいるという風にいただきます。

しかし、皆様とてもお忙しいようなので、本当は毎日お勤めした方が良いのですが、8月のこのあたりだけでもせめてご縁をいただいてくださいね、ということであります。

そのような訳で、お盆(1日から15日までお参りさせていただいておりました)はいつもよりご縁が多く、忙しい毎日を過ごしておりました。

やはり忙しい毎日を過ごしておりますと、毎日が当たり前のように過ぎていきます。

一日一日をもっと丁寧に生活させていただかねば、と反省しておりました。

皆様は丁寧という言葉の語源をご存知ですか?

実は、丁寧という言葉の語源はとても面白いのです。

あまり詳しくはありませんが、丁寧というのは楽器だったそうです。

どのようなときに鳴らすものかというと、戦の時に使う楽器だったそうです。

注意を促すときに何度も何度も鳴らしたそうです。

丁寧という楽器が鳴っているときは注意をしっかりとめぐらせて、戦いに細心の注意を払って挑んだのです。

つまり、丁寧は、注意が行き届いている状態を表したのです。

話を戻しますが、丁寧に生活をするとは、注意がしっかりと行き届いていて意識をしっかりと持って毎日に挑むことではないでしょうか。

皆様は丁寧に丁寧に毎日を過ごせているでしょうか?

私も、忙しいときにこそ丁寧に毎日を生きさせていただきたいと思います。

次回はどのような意識を持ち、どう注意をめぐらせて毎日を過ごせばいいのか?ということについて、お話しさせていただきます。

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

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