南無阿弥陀仏

こんにちは。尼崎 武庫之荘 真光寺の楠木光雲です。

皆様は「南無阿弥陀仏」の意味を教えて下さいと聞かれましたら、すぐにこのような意味ですと答えられますでしょうか。

実は、 「南無阿弥陀仏」の意味をご存知の方は非常に少ないのではないでしょうか。

本日は「南無阿弥陀仏」がどのような意味であるかということについてお話していきたいと思います。

「南無阿弥陀仏」は昔のインドの言葉であるサンスクリット語の発音をそのまま漢字であらわしたものであります。

つまり、「南無阿弥陀仏」は「ナマス」「アミターバ」「アミターユス」「ブッダ」という4つのインドの言葉で成り立っているということであります。

まずはじめに、「ナマス」ですが、この言葉には、疑うことなく信じる、受け入れるという意味があります。

では何を疑うことなく信じたり、受け入れるのでしょうか。

「アミターバ」「アミターユス」「ブッダ」に着目してみましょう。

「アミターバ」ははかり知れることのない光、「アミターユス」ははかり知れることのない命を意味します。

「ブッダ」は正しい真理に目覚めたものという意味を持った言葉です。

つまり、「南無阿弥陀仏」がどのような意味を持った言葉であるかまとめて申し上げますと、はかり知ることの出来ない光の徳を持ち、はかり知ることの出来ないいのちの徳を持った、正しい真理に目覚めたものを疑うことなく信じ、受け入れていくという意味であります。

光はよく知慧の象徴として使われる言葉です。「あの人は経理に明るいとか、法律に明るい」などと光に譬えると思います。

はかり知ることの出来ない(限りない)智慧を持って私たちを教え、導き育ててくださり、そして太陽のように万物を育てていくいのちのはたらきを恵んでくださる存在なのです。

私たちは、自分に都合の良いことを善とし、自分に都合の悪いことを悪と判断してしまう自己中心的な生き物です。

阿弥陀仏(正しい真理に目覚めたもの)に手を合わせ、頭を下げることによって少しずつその価値判断が変わっていくのです。

阿弥陀仏を拝む意味を少しでも理解しようと努力し、御一緒に仏縁を持ち「南無阿弥陀仏」とお念仏申しましょう。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

新年のご挨拶

こんにちは。尼崎 武庫之荘 真光寺の楠木光雲です。

皆様、新年明けましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。今年も真光寺を宜しくお願い致します。

本日も天岸浄圓先生のお書きになられた書物を読ませていただきました。そこにはこのようなことが記述されていました。

 

「恩」という言葉を皆様は最近いつ使いましたか?

改めて思い出してください。

思い出せないのでは・・・。

言葉が使われないということは、その感性がなくなっているということなのです。

「恩」という漢字は「因」と「心」の二文字が合わさってつくられています。

「因」の字は、大きな敷物の上に人が大の字になって寝ている姿を、上から写した文字だそうです。人が手足を伸ばして、大の字になってグッスリと寝ることができたのは、敷物のおかげでした。

その恵みに感動したときの心を、「恩」という字で表現したのです。

私たちが、今生きていることは、私たちを支えてくれる、様々な恵みのおかげであると感じる心、それが「恩」であります。

 

年が明けても、変わらず仏さまのご恩に対して感謝しお念仏を申していきましょう。

 

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分