煩悩

皆様こんにちは。武庫之荘 寺院 真光寺の楠木光雲です。

「煩悩は 髪の毛の如し 伸びたら切り そしてまた切る 死ぬまで切り続けなければならぬ」

髪の毛や爪は、生きている限り伸び続けます。この世との縁が尽きてもしばらくは伸び続けるとまでいわれています。

親鸞聖人は「私たちの煩悩は臨終の一念に至るまで、とどまらず、きえず、たえず」とおっしゃられました。

親鸞聖人がおっしゃる通り、生きている間に煩悩を滅することは不可能に近いですが、自分が煩悩が絶えない者であると自覚することぐらいは出来るのではないでしょうか。

自覚出来たならば、阿弥陀様に全てをおまかせし、お念仏申しましょう。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分

良如上人の御言葉

皆様こんばんは。尼崎 寺院 真光寺の楠木光雲です。

本日は本願寺の第十三代宗主良如上人の御言葉を御紹介させていただきたいと思います。

「時所をゑらはす 念仏申さるへく候」

この御言葉は、「時や場所を選ばず念仏を称え、この世のいのち終えるまで、み教えを中心として日々を歩むように」という意味です。

阿弥陀様は時間や空間を超えた存在です。今少し忙しいから称えるのを待ってくださいと阿弥陀様に断られたことがありますでしょうか?

阿弥陀様はいつでも私たちにはたらきかけてくださっております。良如上人のお言葉をしっかり心得て、浄土真宗のみ教えを核に置いて日々歩んでいきましょう。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

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今を大切に 諸行無常

皆様こんばんは。尼崎 寺院 真光寺の楠木光雲です。

本日は仏花のお話しをさせていただきます。

何故、仏花は造花ではなく生花をお供えしなくてはならないのでしょうか?

この間、仏花は仏様のお心を表しているものであると記載させていただきましたが、生花でなくてはならない理由はそれだけではないと思います。

綺麗な花であっても明日、いや数時間後には枯れてしまうことがあります。人間もそうではないでしょうか。

明るく元気な人が数時間後に亡くなってしまうこともあると思います。

人間の命のはかなさを知るために生花をお供えしているのではないでしょうか。

明日があることが当たり前だと思ってしまいがちの私たちですが、この世は諸行無常(ものごとは常に移り変わり永遠無変なものは阿弥陀さま以外は一つとしてないという意味)ですので、今を本当に大切に過ごしていきましょう。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

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目には見えない仏様

皆様おはようございます。尼崎 寺院 真光寺の楠木光雲です。

最近とても寒くなってきましたね。

紅葉を見れば、秋を感じます。

同様に色んな場面で季節(春夏秋冬)を感じることが出来ると思います。

雪が降っているのをみればすっかり、冬だなと思います。

桜が満開になり学校で入学式が行われているのを見ると、春を感じます。

蝉がうるさいぐらい鳴きプール日和であれば、夏を感じます。

手に取ることは出来ないけれど、確かに春夏秋冬はあるのです。そして感得(感じ取る)することが出来ます。

仏様もいっしょだと思います。手に取ることや見ること、また連れてくることは出来ませんが、手を合わせお経を称えると仏様のおはたらきを感じます。

物質的には証明出来ませんが、確かにいらっしゃるのです。

私たちは目に見えるもの、実際に触れられるものにしか反応しないことが多いです。しかし、本当に大切なものはどこにあるのか考えてみましょう。

手を合わせお経を称えるとき、物質的ではない大切なもの(こと)が見えてくるかもしれませんね。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

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法然聖人の言葉

皆様こんにちは。武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。

私が今読んでいる本に素晴らしい言葉が書かれてありましたので、本日はその言葉をご紹介させていただきます。

日本仏教の革命児、法然聖人(親鸞聖人の師匠)が残した言葉

「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」

この言葉は、智者ぶってあれこれ論評するようなことなく、愚者になりきって一向に念仏しなさいという意味です。

信心を持つ者は必ずや往生成仏を遂げる。そうであれば、あれこれ言わないで往生成仏が決定していることを感謝し、念仏すべきだと教えられました。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

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報恩講法要を御縁に

皆様こんにちは。武庫之荘 真光寺 楠木光雲です。

昨日は真光寺で報恩講法要を行いました。お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました。

やはりたくさんの人が集まれば、それだけ出会いや御縁がありますね。色々なお話をお聞きすることができたかと思います。

御法話でも浄土真宗の三本柱、「悪人正機」「他力本願」「往生浄土」についてお味わいさせていただきました。

報恩講法要に限らず、日々の仏縁を大切にして仏恩報謝の念仏を心掛けていきましょう。

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

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仏縁

皆様おはようございます。武庫之荘 真光寺の僧侶、楠木光雲です。

親鸞聖人がお書きになられた顕浄土真実教行証文類に次の御文があります。

「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」

(ああ、この大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることはできない。思いがけずこの真実の行と真実の信を得たなら、遠く過去からの因縁をよろこべ。)

様々な仏縁がありますが、それらは全て阿弥陀様のおはたらきによっていただいているものであります。その阿弥陀様からいただいた御縁を慶ばせていただくのが浄土真宗の解釈であり、御味わいであります。
本日、真光寺では14時から報恩講法要を行います。一人でも多くの方々に仏縁を持っていただきたいと思っておりますので、皆様ぜひお気軽にお越しくださいませ。

 

南無阿弥陀仏

浄土真宗本願寺派 真光寺

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間違われた作法 2

皆様こんにちは。武庫之荘 真光寺の僧侶楠木光雲です。

本日は、よく間違われている作法を御紹介したいと思います。

この間は線香について書かせていただきましたけれど、今回は鈴(りん)についてご説明させていただきたいと思います。

仏壇で手を合わせるとき(注: 読経を行わない場合)、お墓参りで手を合わせるとき(注: 読経を行わない場合)、供飯や焼香するとき、皆様は鈴を鳴らしていますか?それとも鳴らしていないですか?

正解を申し上げますと、このようなときには鈴は鳴らさないのです。鈴は仏様や阿弥陀様をこちらに向ける道具とよく勘違いされてらっしゃる方がいますが、これは大きな間違いです。

そのようなことをしなくても仏様や阿弥陀様は私たちにはたらきかけてくださっております。

では、なんのための鈴なのでしょうか?

鈴は読経の際のみに鳴らすものであり、読経の開始と区切りと終わりを告げる合図の楽器なのです。

そしてお経には音の高さが決められてありますから(たとえば阿弥陀経はドレミのミ)、鈴の音を聴いて出音(はじめに出す音のこと)を正確にとらえようとしている訳であります。

鈴の使い方はよく間違われやすいので、十分に気を付けていただけたら幸いです。

間違われている作法はこれだけではありません。また御紹介させていただきます。

 

南無阿弥陀仏

 

浄土真宗本願寺派 真光寺

兵庫県尼崎市南武庫之荘1丁目8番5号

阪急武庫之荘駅南側 徒歩3分 

楠木光雲