皆様こんにちは。尼崎 武庫之荘 浄土真宗 真光寺 楠木光雲です。
突然ですが、皆様、阿弥陀様とは何でしょうか?
お答えすることができますか?
なかなか難しいですか?
阿弥陀様とは量り知れない存在だからわからないまま受け入れていく、そんな言葉をよくお聞きします。
しかし、よくわからないものを私たちは大事にしようと思えますでしょうか?
正直少し厳しいと思います。
わからないまま受けいれていくという言葉も、きちんと説明しなければ、よくわからないものを無理矢理受け入れれば良いというとても無責任な言葉に聞こえます。
まず、わからないまま受けいれていくという言葉の誤解を解きたいと思います。
わからないというのはどうわからないかというと、阿弥陀様がよくわからないという意味ではなくて、私の小さい小さい眼で見た世界ではなくて、阿弥陀様という感性やお心は私たちのものとは到底かけ離れているぐらい素晴らしいから、理解したり実行したりするのは難しい。
でも、それほど素晴らしいものなのだから、実際に同じようにすることは出来なくても、頭でしか理解することが出来なくても大事にさせてもらいましょうという意味で、わからないまま受けいれさせていただきましょうとたくさんの方がおっしゃられているのです。
ここまで説明しなければならないというのは、仏教の奥深さをとても強く感じるのですが・・・とにかく阿弥陀様は量ることが出来ないからと言って、よくわからないものではありません。
阿弥陀様はまず命の根源だと思います。
お亡くなりになられた方々全ての命、また、今を生きる私たち全ての命、その根源です。
浄土真宗では阿弥陀様と言ったり、無量寿と言ったりしております。
インドの古い言葉サンスクリット語で、アミターユスというそうです。
命の命。命の根源。命の親。だから、親様親様と昔から親という風に表現しているわけです。
まず阿弥陀様という存在の意味しているものの一つがこれです。
もう一つが、教えです。
気付きを与えるものです。
浄土真宗では暗闇に光を放ち、パーっと道を切り開いてくれるようなものだから、無量光と言っております。
智慧とも言います。
インドの古い言葉サンスクリット語ではアミターバと言います。
教えについては書き上げると何文字になるかわかりませんが、それも全て阿弥陀様ということです。
阿弥陀様とは一つに全ての命の根源(親)、一つに気付きを与える教えであります。
もう一度だけ注意書きをしておきますけれど、冒頭にも申し上げたように量り知れない存在ということは間違いないです。
これだけではありません。
それこそ言い尽くせない意味があるのでしょう。
ほんの少しでも阿弥陀様を大事にできる手助けになればと思い、このようなことを記事にしてみました。
南無阿弥陀仏